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DISC1-8•9「エンドーチェーンCMソング"エンドーチェーンの歌"」懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット

せんだいCM特捜隊のブログへようこそ。

今回は2007年発売「懐かしのせんだいCM大百科」の2023年復刻版購入者向けのデジタルブックレット第6回です。

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☆デジタルブックレットに関する詳細は第1回のこちらのブログをご覧ください→DISC1-1「丸光ミュージックサイレン "荒城の月"」懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット - せんだいCM特捜隊オフィシャルブログ


エンドーチェーンCMソング

「エンドーチェーンの歌」

制作年/昭和44年

作詞/山上路夫 作曲/いずみたく

歌/ピンキーとキラーズ

 

ピンキーとキラーズ*1は、昭和43年に「恋の季節」(作詞/岩谷時子 作曲/いずみたく)でデビュー。同年、第10回日本レコード大賞新人賞を獲得する直前に、東北放送からエンドーチェーンに、ピンキーとキラーズでイメージソングを制作してはどうかとの提案があった。これはその年に、この作家チーム(作詞/山上路夫、作曲/いずみたく)と佐良直美さんで、東北放送のイメージソングを制作した縁によるものだった。また、ピンキー(今陽子さん)が老若男女、特に子どもの人気を集めていたことがエンドーチェーンのイメージキャラクターにピッタリだったことも起用理由の一つであった。この曲は、昭和44年2月12日(水)に宮城県民会館で行われたエンドーサテライトスタジオ*2ピンキーとキラーズショー」で初披露された。ちなみに、この時のゲストは篠ひろ子キューティQ。さらにピンキーとキラーズは、この年の2月1日(土)に電力ホールで行われた「ピンキーとキラーズリサイタル」(午後3時、午後7時の2回公演)と5月10日(土)に宮城県民会館で行われた「ピンキーとキラーズコンサート」(午後2時、午後6時の2回公演)も開催している。なんと、2月から5月の4ヶ月の間に3回も来仙していたのだ。

同じくピンキーとキラーズが歌ったこの曲の別テイク(DISC1のトラック9)は、エンドーサテライトスタジオで行われていた東北放送ラジオの生放送番組「エンドーミュージックショーウィンドー」*3のオープニング用に制作された曲である。


取材・文/伏谷宏二

 

#懐かしのせんだいCM大百科 #エンドーチェーン #ピンキーとキラーズ

*1:ピンキーとキラーズ 昭和43年結成のボサノバ・グループ。『恋の季節』は発売直後から爆発的にヒット。オリコンで17週間1位となるミリオンセラーとなり、レコード史に残る240万枚(キング発表)を売り上げた。

*2:エンドーサテライト・スタジオ エンドーチェーン仙台駅前店1階にあったイベントスペース。TBCラジオの生放送番組「エンドーミュージックショーウィンドー」に出演するアイドルを見ようと見物客が押し寄せ、2階の吹き抜けまでいっぱいになった。

*3:エンドーミュージックショーウィンドー エンドーチェーン仙台駅前店1階のサテライトスタジオで行われていた東北放送ラジオの生放送番組。

【特別編!】藍美代子様特別インタビュー〜大井時計店のうたのすべて〜

皆様こんにちは!せんだいCM特捜隊ブログ担当の堀越です。

今回は通常通りの「デジタルブックレット」とは異なり、いつもよりスペシャルな内容をお届けいたします。

今回は、あの「ミカンが実る頃」や「星の子チョビン」を歌った藍美代子さんに特別インタビュー!!

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懐かしのせんだいCM大百科(2007年発売)・"復刻版"懐かしのせんだいCM大百科(※上記にある2007年発売の無印第1弾をCDのみ復刻した2023年発売作品)はもうお持ちでしょうか。

実はこちらのDisc2に収録されている大井時計店*1のCMソングのうちの1つを藍美代子さんが歌っていました。

しかし「大井時計店のうた」は、昭和40年に作詞と作曲されたコマーシャルソング。その頃丁度、藍美代子さんは小学生。これって本当なの??そんな声が沢山ありました。

今回はその真相を探るべく藍美代子さんに独占インタビュー!!

まずは、藍美代子さんが歌手になったきっかけからお話ししていただきました。


堀越→インタビュー者(CM特捜隊員)

 →藍美代子様

※敬称略とさせていただきます。

堀越:藍美代子さんが歌手になろうと思ったきっかけは何でしょうか?

:幼い頃から歌が好きでよく歌ってました。よく父がお土産でレコードをかってきてくれて、それを聴きながら歌うのが大好きでした。小学校に入り、私が歌う事が好きだと知った担任の先生が、「音楽を習ってみなさい」と言いピアノの先生を紹介してくださったのです。そこから音楽を習い始め、最初は童謡をおしえてくれました。これが小学校1年生の頃でした。2年生になり、今度は声楽の先生を紹介していただき、声楽とピアノ*2を始めました。

堀越:ありがとうございます。次に、坂本登さんの音楽教室に入ったきっかけを教えていただけますか?

:小学5年生の5月ごろ、父の会社の事務員の方が「のど自慢大会」に応募してくれてよく出場していました。その流れで偶然、県民会館で行われていた「東北 CMソングのど自慢大会*3に出たのです。私は単独で出場し、「まんぞくやの歌*4を歌いました。

その時のCMソングのど自慢大会の指揮者が大井時計店の歌を作曲なされた坂本登先生でした。その後、坂本登先生から「私の音楽教室で歌を習わないか」という手紙が届きます。坂本登先生の専門は歌謡曲であり、その頃声楽と歌謡曲の2つを習っていました。1週間〜2週間に1回の頻度で石巻から仙台まで通い、坂本登先生の音楽教室で歌を習っていました。

 


堀越:次に「大井時計店のうた」を歌ったきっかけを教えてください。

:坂本登先生の教室で歌を習うにつれてどんどん大きいコンクールに出るようになりました。時にはちびっ子のど自慢等、テレビの番組にも出るようになったのです。そのため歌手になったきっかけは坂本登先生が大きく影響しているとも言えます。

小学5年生の冬頃、坂本登先生が作曲したコマーシャルソングを、「歌ってみない?」と言ってくださり、歌わせていただきました。その曲がこの「大井時計店のうた」だったのです!


堀越:貴重なお話ありがとうございます。「大井時計店のうた」制作後、反響やエピソードはございますか?

:はい!「大井時計店のうた」収録から何年も経ち、他の方から「CMで流れている大井時計店の歌、もしかして藍美代子さん歌っていない?」と聞かれたものの遥か昔の記憶だった為思い出せず…その後、ある時一番町を歩いていると何やら耳に入る歌がありました。なんだか、のびのびとして素敵な歌。

その時衝撃的な事に気づいたのです。

なんと流れていたこの歌が私が小学生の頃歌った「大井時計店のうた」だったのです!

ものすごく感激しました。


堀越:素敵なエピソードありがとうございます!では最後に、懐かしのせんだいCM大百科について一言をいただけないでしょうか。

2007年に初版を受け取った時に感じたのがとってもよく作り込まれていて、どれも当時育った地元の人には非常に懐かしい曲ばかりです。聴いていてとても懐かしく読んで楽しい作品でした。今回また復刻していただいて本当に嬉しいです今後ともどうぞよろしくお願いします〜!

堀越:本日はありがとうございました!


いかがでしょうか。今回真相がはっきりと解明されました。あの「大井時計店のうた 藍美代子編」は昭和40年に小学5年生の藍美代子さんが歌っていたのです!!

とても小学生とは思えない、綺麗で素敵な歌声ですよね♪

この歌は「懐かしのせんだいCM大百科」(2007年発売)

「"復刻版"懐かしのせんだいCM大百科

(2023年発売)

に収録しております。まだお聞きでない方は是非聴いてみてくださいね〜!

→こちらからページに飛べます。通販サイトや公式X(旧Twitter)、Facebookございます!

是非是非ご覧くださいませ!https://lit.link/sendaicm

 

取材・文/堀越啓太

Special thanks/藍美代子様

 

藍美代子:1954年6月20日宮城県石巻市出身。歌謡曲やジャズの歌手を行っている。代表曲に「ミカンが実る頃」やテレビアニメ「星の子チョビン」のテーマソング、CMソングにえひめ飲料の「ポンジュースの歌」等。

☆藍美代子さんのブログはこちら!
ameblo.jp/ai-miyoko/
☆藍美代子さん公式YouTubeも是非!!
youtube.com/@Miyoko-Ai888

*1:大井時計店は現在の大井宝石店。仙台市

*2:習い事 幼い頃は他にも三味線なども習っていて習い事が大好きだったそうです。

*3:CMソングのど自慢 当時地元で馴染まれていた企業のCMソングを歌う大会。CMソングのど自慢は当時全国で行われていた

*4:「まんぞくやの歌」 Disc2の17番目に収録。原曲は伴久美子さん歌唱

DISC1-6•7 緑屋CMソングⅡ、Ⅲ 懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット

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今回は2007年発売「懐かしのせんだいCM大百科」の2023年復刻版ご購入者様向けのデジタルブックレット第5回です。

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☆デジタルブックレットに関する詳細は第1回のこちらのブログをご覧ください→DISC1-1「丸光ミュージックサイレン "荒城の月"」懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット - せんだいCM特捜隊オフィシャルブログ

 

緑屋CMソングⅡ、Ⅲ

「緑屋CMソング」

制作年/昭和42年頃

作詞/不詳 作曲/中村八大

歌/不詳

コーラス/不詳


緑屋*1CMソングⅡ、Ⅲは、スタジオ緑屋7(スタジオ緑屋セブン)の放送が始まった頃に制作されたと思われる。スタジオ緑屋7は緑屋で収録されていた東北放送ラジオの公開番組。筆者にとってサテライトスタジオといえばエンドーチェーンだが、緑屋にもあったのだ。場所は緑屋仙台駅前店の7階エレベーター前で放送は昭和42年4月1日午後5時35分より開始。当初は6時までの25分番組だったがその後、昭和43年に午後5時からの放送に移動。当時は「ヤング」を対象としたファンの集いも行われていた。

復刻版制作にあたり調査をしていたところ、この緑屋CMソングⅡが、番組のオープニングテーマソングだったことが判明。また、当時の東北放送のテープ内に「この曲は中村八大*2作曲の新しい緑屋のコマソンでした」というアナウンスが残されていたことで作曲家が判明した。残念ながら歌唱者は不明だが当時の人気歌手だったようだ。

ちなみに緑屋はその後、移転をしams西武仙台店をオープンしたが現在は仙台ロフトになっている。

 

取材・文/伏谷宏二、堀越啓太

 

#緑屋 #中村八大 #懐かしのせんだいCM大百科

*1:緑屋 前回のブログDISC1-5 緑屋CMソングⅠ「みどりやの唄」 懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット - せんだいCM特捜隊オフィシャルブログに詳しく記載している。

*2:中村八大 昭和6年(1931年)〜平成4年(1992年) 梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」作曲で日本レコード大賞受賞。代表曲に坂本九上を向いて歩こう」「明日があるさ」や、大阪万博EXPO70テーマソング「世界の国からこんにちは」などがある。番組のテーマソング「笑点」「ステージ101」も中村八大の作曲だ。作詞家永六輔とよく組んで曲を制作していたことから「六八コンビ」と呼ばれ、その曲を歌手の坂本九が歌うことで「六八九トリオ」とも呼ばれていた。

DISC1-5 緑屋CMソングⅠ「みどりやの唄」 懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット

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今回は2007年発売「懐かしのせんだいCM大百科」の2023年復刻版ご購入者様向けのデジタルブックレット第4回です。

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☆デジタルブックレットに関する詳細は第1回のこちらのブログをご覧ください→DISC1-1「丸光ミュージックサイレン "荒城の月"」懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット - せんだいCM特捜隊オフィシャルブログ

 

緑屋CMソング

「みどりやの唄」

制作年/昭和36年

作詞/野坂昭如 作曲/いずみたく

歌/北野路子

コーラス/ブラック・キャッツ

 


緑屋*1は「月賦(ローン)で買い物ができるデパート」が売りであった。当時、「クレジットの丸井・ノートリングの丸興・ライフアップ大丸」と共に「ホームビルの緑屋」として四大月賦百貨店と呼ばれていた。いわばクレジットカード社会の先駆け的存在。歌詞に「500円で5000円のお買い物」とあるのはそのことから。

緑屋は東京が本拠地で、最盛期には丸井よりも店舗数が多かったようだ。当時は他の月賦百貨店が関東地区のみの出店だったのに対し、緑屋は唯一北海道や東北地方に出店を行っていた。

宮城県では、まず1952年(昭和27年)に仙台名掛町店がオープン。その後1959年(昭和34年)に仙台東一番町店が開店。その後1967年(昭和42年)に仙台駅前店も開店するが「みどりやの唄」の制作年から前者2店舗が栄えてた1960年代前半にラジオや街頭放送で流れていたのだろう。

作詞の野坂昭如*2氏は当時、三木鶏郎主宰のテレビ工房に所属していたが同じテレビ工房の作曲家いずみたく氏と共に独立しコンビを組み、コマソン制作を行っていた。この曲もそのうちの1つだ。歌手の北野路子とコーラスのブラック・キャッツ*3のコンビも当時多く見られた。

ちなみに、放送局初のイメージソング「OBCソング(ラジオ大阪)」は、この「みどりやの唄」と全く同じ制作者・歌唱者である。作詞のみ不詳だがCM大百科Disc1-22の「寿の三色最中本舗CMソング・旧」も同じだ。

また、いずみたく氏の事務所「オールスタッフ」が公式YouTubeにも「みどりやの唄」を投稿しているがこちらはバージョン違い。是非聴き比べていただきたい。

いずみたく作曲「緑屋 みどりやの唄/緑屋ピクニック」 - YouTubehttps://youtu.be/WPb5e71cg2Q?feature=shared

 

取材・文/伏谷宏二、堀越啓太

 

*1:緑屋は業態と社名を変更し、クレジットカード会社のクレディセゾンとして2023年(令和5年)現在も残っている。

*2:野坂昭如 昭和5年(1930年)〜平成27年(2015年)「火垂るの墓」作者として知られる。昭和30年に三木鶏郎音楽事務所の事務員となる。CMソングの代表作として「キャンロップ」「伊東に行くならハトヤ」「文化放送QRソング」がある。また、童謡の「おもちゃのチャチャチャ」も野坂氏の作詞だ。

*3:ブラック・キャッツ 横山悦子、西田滋子、武山昌代の3人によって結成された。服部リズムシスターズが前身。コマーシャルソングを中心に、歌謡曲も歌っていた。

DISC1-3・4 丸光CMソング「ショッピングまるみつ」 懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット

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今回は2007年発売「懐かしのせんだいCM大百科」の2023年復刻版購入者向けのデジタルブックレット第3回です。

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☆デジタルブックレットに関する詳細は第1回のこちらのブログをご覧ください→DISC1-1「丸光ミュージックサイレン "荒城の月"」懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット - せんだいCM特捜隊のブログ

 

光デパートCMソング

「ショッピングまるみつ」

制作年/昭和40年

作詞/水木ひろし(桜井順) 作曲/桜井順

歌/金井克子(トラック3)

歌/スリー・グレイセス(トラック4)

男性コーラス不詳

 

広告代理店の電通による制作。まず最初にスリー・グレイセス*1バージョンが完成し、のちに金井克子*2バージョンが制作された。

2007年に「懐かしのせんだいCM大百科」制作の際、取材の過程で「愛のある街」(DISC1-2 丸光CMソング「愛のある街」 懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット - せんだいCM特捜隊のブログ)以前に作られたこの曲も越部信義氏の作曲によるものだと思われていたが、2023年の復刻版制作にあたり調査を行ったところ、当時ソノシートが作られていたことがわかり、桜井順*3氏の作詞・作曲ということや、曲名の「ショッピングまるみつ」が判明した。

また、金井克子バージョンは昭和40年(1965年)にテレビでもCMが放送されていたことが判明。内容としてはこの「ショッピングまるみつ」と共に、金井克子が丸光の店内で踊るモノクロCMだった。

男性コーラスは、同時期に桜井順氏が作詞作曲したカゴメのCMソング「トン・トン・トマト・まっかっか」の男性コーラスであるブライト・リズム・ボーイズに歌声が似ているがソノシートには記載がなく、情報がないため今回の復刻版では不詳とさせていただいた。ちなみにブライト・リズム・ボーイズはDISC2のトラック21「イワマ靴店CMソング・旧」にてコーラスを担当している。

 

取材・文/伏谷宏二(2007年執筆)

一部訂正・追記/堀越啓太

 

*1:スリーグレイセス 昭和33年(1958年)に石井政江、石井操、長尾華子によって結成され、翌昭和34年、ギリシャ神話・美の3女神にちなんで「スリーグレイセス」と名付けられた。3人の結婚を機に活動は休止されが、現在は再開している。

*2:金井克子 昭和20年(1945年)~。バレエダンサー、歌手。西野バレエ団を経て芸能界入りする。歌手としての代表曲は昭和48年発売の「他人の関係」。特に振り付けが話題を呼び、大ヒットとなった。

*3:桜井順 昭和9年(1934年)〜令和3年(2021年)昭和33年に三木鷄郎主宰の冗談工房に参加。代表CMソングは富士フィルム「お正月を写そう」、味の素「コーヒーギフトはAGF」など。CMソングの他に童謡「とんでったバナナ」「ドキドキドン1年生」などがある。作詞の際のペンネームに「水木ひろし」「能 吉利人」がある。

DISC1-2 丸光CMソング「愛のある街」 懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット

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今回は2007年発売「懐かしのせんだいCM大百科」の2023年復刻版購入者向けのデジタルブックレット第2回です。

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光デパートCMソング

「愛のある街」

制作年/昭和47年

作詞/伊藤アキラ 作曲/越部信義

歌/ヤング101(伊藤三礼子・藤島新)

 

昭和47年11月2日(木)の丸光デパート増床改築記念として制作されたイメージソング。当時、広告や雑誌で池袋や銀座などの街を「色」に例える表現が流行していたことから、「色」に対抗して、「愛」をテーマに店(街)づくりをするというコンセプトだったようだ。丸光はこのコンセプトをもとに増床によって拡大した売り場を街の一部と考え、お客様を大切にする「愛」が満ち溢れる店(街)づくりを展開した。この曲のターゲットはファミリー層。制作段階では、テンポが速く元気が出る曲調のものと若いカップル層をターゲットにしたムードのある曲調の2候補が作られたが、子どもにも大人にも受け入れられるという理由で、この曲が採用された。

作曲の越部信義*1氏は、名曲「おもちゃのチャチャチャ」も制作している。作詞を担当した伊藤アキラ*2氏の話によると、当時、伊藤氏と越部氏は、昭和39年に創設された会社「音楽企画センター」に所属しており、その頃に作ったCMソングのほとんどは、このコンビで手掛けていたとのことだった。歌手の伊藤三礼*3さんと藤島新氏は、NHK総合テレビの人気番組「ステージ101」内で結成されたヤング101*4のメンバーであった。2人は11月2日(木)に開催された増床記念イベントに出演し、新イメージンングを披露した。

「愛のある街」の制作発表記事によると、この曲は、東北放送「フラッシュニュース」(毎週金曜・夜8時56分)、仙台放送「仙台テレニュース」(毎週土曜・夜8時56分)、宮城テレビ「天気予報」(毎週日曜・夜5時55分)のCMで流れていたようだ。また、昭和47年11月2日(木)から丸光が閉店する平成3年8月16日(金)までの19年間、店内放送および東北放送のラジオ番組「朝の百貨店案内」*5(月〜金の朝9時半から10分間放送)でも使用されていた。

取材・文/伏谷宏二(2007年執筆)

一部訂正・追記/堀越啓太

*1:越部信義 昭和8年(1933年)〜平成26年(2014年)作曲家。童謡「おもちゃのチャチャチャ」やアニメソング「進め正太郎(鉄人28号)」「パーマン」「ドラえもん(第1作)」の作曲を手掛けた。「世界・ふしぎ発見!」のテーマを作曲したのもこの人。

*2:伊藤アキラ 昭和15年(1940年)~令和3年(2021年)作詞家。歌謡曲では、渡辺真知子かもめが翔んだ日」、石野真子「春ラ!ラ!ラ!」など、CM曲では、「この木なんの木」「パッ!とさいでりあ」「青雲の歌」など、メジャーな作品を数え切れないほどてがけている

*3:伊藤三礼子 宝塚出身の歌手。「イヨマンテの夜」を歌った伊藤久雄の長女。

*4:ヤング101 出身者には太田裕美、上條恒彥、芹澤廣彰、田中星児、谷山浩子などがいる。

*5:朝の百貨店案内 昭和29年7月13日(火)~平成9年3月31日 (月)まで、デパート開店前の午前9時35分45分に東北放送ラジオで放送されていた番組。その日に行われる催事や訴求商品(おすすめ商品)などを紹介していた。番組放送開始当初は、丸光、藤崎、三越の3社のみだった。

DISC1-1「丸光ミュージックサイレン "荒城の月"」懐かしのせんだいCM大百科デジタルブックレット

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本日から2007年発売「懐かしのせんだいCM大百科」の2023年復刻版購入者向けのデジタルブックレットを公開いたします!

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もちろん、まだご購入していただいていない方でも楽しむことができる内容だと思います!

 

☆そして、特捜隊のブログに関してはこちらの記事に詳しい説明がございますのでまだご覧になられていない方は、ご覧くださいませ〜!

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本日はDisc1の1曲目、丸光のミュージックサイレン「荒城の月」についてです。

 

丸光ミュージックサイレン

「荒城の月」

ミュージックサイレン制作年/昭和28年

作詞/土井晩翠 作曲/滝廉太郎

丸光ミュージックサイレンは昭和28年10月21日(水)の丸光デパート増床改築完成記念として設置された。斬新なアイディアが好きだった創始者・佐々木光男社長は、当時のお金で100万円もした上に1都市1台限定とされ、全国に25台しかなかったミュージックサイレン(10音階のキーがあった)を東北地方で初めて導入したのだ。曲目*1仙台市にふさわしいものということで、「荒城の月」が選ばれた。

吹鳴式に参席した岡崎仙台市長(当時)と佐々木社長が並んでスイッチを入れると、重厚で迫力のある音が仙台駅前に鳴り響いた。昭和28年12月11日(金)午前9時のことだった。演奏は毎日、午前9時・正午・午後5時の3回行われた。

ミュージックサイレン「荒城の月」は、過去にレコード化*2され、6ミリテープも販売されたことがあるが、今回は、東北放送のSE(効果音)テープに収録されていた音源(昭和43年録音)を使用させていただいた。

取材・文/伏谷宏二(2007年執筆)

 

 

 

*1:曲目:昭和47年11月2日(木)の大増床改装記念として、河北新報紙上でミュージックサイレンの新しい曲を公募したが、実現しなかった。

*2:レコード化:ミュージックサイレン「荒城の月」は、「サウンド・トラベル音の日本紀行〜東日本編~」(レコード・オープンリール:CBSソニー)と「みずたまりのうた」(LPレコード:昭和57年発売)に収録されている。その他、アマチュア録音家のテープも多数残っているようだ。